むすび
ゲームが ワルモノにされる理由2のような戦史はいくらでもありますが、いずれのケースでも当事者は単に世代交代を待つのではなく、作品と論評 を以て戦っています。マンガ、アニメ、明治期の小説、江戸期の歌舞伎だけでなく、おそらくは室町期の能・狂言も同様かと思います(でなきゃ風姿花伝なんか書く動機がないのでは?)。
勝っても負けても、詳細な戦況は歴史に残りません。
ゲーム支持派が勝者になった場合、反対派の言動は「世間の批判はあったが」程度にまとめられてしまいますし、 敗者になった場合は、そんなものがあった事すら忘れられるだけです。
そもそも文化など「無くても一向に差し支えないが、あったほうがなんとなく心持ちの良いもの」に過ぎません。
本当は、ただ面白いゲームの事を語るだけでいいと思うんだ。
アニメだってマンガだってロックだって小説だって、ファンやメディアがその良さを語り続けたから今があるわけで。宮崎駿だって手塚治虫だってジョン・レ ノンだって二葉亭四迷だって、悔しさを噛み締めて黙々と「今よりももっと良いモノを」作り続けたから今があるわけで。
十返舎一九も近松門左衛門も観阿弥・世阿弥も出雲阿国も、たぶんそうだったんじゃないかなぁ(向こうは迷惑かも知らんが)。
ゲームの事はゲームに聞け。と言います。作品を以て語らしめよ。
画家の描くものには一木一草に意味が有ると言います。ゲームがそうでない理由をオレは知りません。
だから、ゲームやろうぜ。
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