2006年08月10日

本『図書館戦争』

【概要】昨日買った本がどうも「ラノベ」とゆうものだったらしい。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4840233616/503-3928654-4572765?v=glance&n=465392
有川 浩
  • 単行本: 345ページ
  • 出版社: メディアワークス (2006/02)
  • ASIN: 4840233616
 「ラノベの教養」は持ってないし、一応、本人はオトナの積もりで居るのでああいう表紙をレジに持っていく事を考えるとなにがしか怯むものがある。
 しかし、あんだけ数がありゃ面白いのがあるに違いないのだ。表紙がどうでも中身は小説だし、表紙だけで楽しめないならおいらの脳もたかが知れているとい うもの。
 しかし、やっぱあの表紙を手に取るのはキツい。たまたま顔見知りの峰山さん(仮名)とか居合わせたらどうしてくれるのだむっきー。
 通販?本は立ち読みしてから買いたいんだい。
 そんなわけで本屋に立ち寄ると平積みのアニメ絵の近くを何喰わぬ風を装ってうろうろしてみたりする。幸いにしてラノベはマンガ単行本の近所にある事が多 い。てゆうか相当不審だなコレ(文字にするまえに気付けよオレ)。

  やーでもやっぱ怯むだろアレは無理だろアレはと思いつつ『うつうつひでお日記』を手に取る。行きつけのこの本屋ではこういうのはなぜ か「その他」の棚にある。ちょいと大きめの本屋なら「サブカルチャー」とかこじゃれた看板でもかかってそうなものだが、ベッドタウン駅前の個人経営店にそ んなものは無い。オヤジにとって「その他」としか言いようの無いもんが吹きだまりのように溜まっている棚だ。てゆうかそもそも看板が無い。
 目的の本を手に取って目線を上げると、ハードカバーの背が目に入った。

『図 書館戦争』

 ふと思い出して『誌外戦』てのがあたりに無いか確かめるが見当たらない。よって目線を戻す。弾痕をあしらったごっついタイトルはエンタメの証。「メディ アワークス」の文字に一瞬警戒するが、表紙はだいじょうぶ。恥ずかしくない。いずれにせよここんとこゲーム有害論で着火してる身でこのタイトルは見過ごせ ない。

目次
一、図書館は資料収集の自由を有する。
ニ、図書館は資料提供の自由を有する。
三、図書館は利用者の秘密を守る。
四、図書館はすべての不当な検閲に反対する。
図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る。
 めくる。
前略

お父さん、お母さん、お元気ですか。
私は元気です。
東京は空気が悪いと聞いていましたが、武蔵野辺りだと少しはマシみたい。
寮生活にも慣れました。
念願の図書館に採用されて、私は今ーーーー

毎日軍事訓練に励んでいます。


 買う。以下ページを折ったとこ抜粋。

「正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない。お前が使ってるのはどっちだ?」

「そもそも読書というものは思想の一部であり、図書館は利用者の思想を守る義務があります。そして個人の思想が犯罪 の証拠として取り扱われるべきではありません」
「読書」に代入して、世間で通用するかチェック。
「表現」二重まる。成立する。
「映画」二重まる。
「マンガ」まる。
「アニメ」少し苦しい。先に「表現」を挟むべきか。それでもジブリ限定なら、と留保が付く事は避け難いかも。
「ゲーム」、、、はぁ?なにいってんの?そんなの全然違うじゃない!ひく。テッパンでひく。

 てな感じで自分は気に入った文章は全部「ゲーム」に置き換えてみるクセが付いている。
 使える言い回しが増えるし、今のゲームに足りないものが見えて来るかもしれない。来ないかもしれない。
 ゲーム脳戦争の要諦は洗脳戦です。思想・表現の自由をテメェの肚に落とす作業ともいいま す。
 その言葉に力負けしないゲームを育てる運動ともいいます。
 とかなんとか妄想がひらがる。

 すくなくとも「ゲーム脳・脳内汚染」にムカついてるなら、本が二重に楽しめる事は確か。
潔 癖さばかりが先に立つ中学生のような理屈でぐじぐじ言い返した。堂上が突っかからせてくれていることには気付いていたが、言い返す言葉は止められなかっ た。「だって」と「でも」が話の接ぎ穂にやたらと多く、だってとでもだけ一人前かと手塚にあげつらわれたことを思い出した。
確かに子供はだってとでもが多いのだ。
  然して世論は事件への怒りが先行し、何故図書館は操作に協力しないのかと言う意見が圧倒的だから話がややこしい。警察のわずかな圧力で利用者情報を提供す ると言う事はその分図書館の守秘機能が脆弱ということになるわけだが、それを善良な市民が自分の身に置き換えるにはある種の発想の転換が必要である。冤罪 でない事がほぼ確定している事件で冤罪の場合を想像するのは難しいし、一度の特例が前例として多用される可能性を想像するのも難しい。

どの局も事件については少年の自供で持ちきりで、図書館の非協力を批判する論調はすっかり影を潜めている

 でもすっきりしない。

誰も何も撤回していないのに図書館が責められたことがなかったことになっている。そのことがものすごく納得いかなかった。
 しかしそれも自分が当事者だったから思うことで、世間で起こる同じようなことについて郁もいちいち注目して憤っているわけではない。自分がイタかったか らむきになっているだけのような気もする。
 結局自分が体験しないとこうした痛さを実感できなかったという意味では郁も充分に勝手で、それを思うとまたへこむ。

子供の読書に意義を求めたがる大人にはウケが悪い。子供には読むべき意味、読むべき価値がある本を読ませるべきで、 子供は読書から何かを学ぶべきだ。『考える会』の主張は要約すればそうなる。
 どうして大人はただ本を面白がるということを許してくれないのか。自分たちはただ面白がるためだけに本を読むくせに。

「うん、それはすごい正論ね。でも正論って面倒くさいのよ」
「義理も縁もない他人に何かを頼むとき、『協力してくれるべき』とか『してくれるだろう』とか甘い見通し持ってる奴は絶対失敗するわ。協力って期待するも のでも要求するものでもなくて、巧く引き出すものなのよ」

  「図書館は学校の延長機関ではなく、また家庭の躾の代行機関でもありません。もちろん、教育の一助となることを否定するものではありませんが、開放された 多用な図書の中から子供たちが自由に本を洗濯できる環境を提供することが自立への支援になると考えています。そしてなにより、娯楽作品との距離の取り方は 保護者が指導するべきものです。その責任を学校や図書館に求めることは、保護者としての責任を放棄していることになるのではありませんか?」
 終止決して荒らげることのなかった稲嶺の声そのものが説得力となった。
 「考える会」並びに保護者の皆さんには、保護者の責任を十全に果たすことを何より優先して考えて頂きたい。そのための手助けが欲しいということであれ ば、図書館は豊富な資料の提供や児童館の読書ノウハウの公開など、あらゆる協力を惜しみません。

 てな論戦とこっぱずかしいジュブナイルと引用しなかったが(できるか)痒すぎるガール・ミーツ・王子様をみっちり経て、最後は検閲派とのリアルバトル。 アレで始まってこれ抜きじゃ終われん。
 銃弾が飛び交う図書館なんかダレもいかねぇよ!なんて野暮は言わねぇ。面白かった。
 アニメにしてくれ。いや実写映画にしてくれ。せめてドラマ。このさい全部。
posted by ばる at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ノイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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