2006年08月05日

ゲームがワルモノにされる理由(序)

【タグ】ゲーム有害論

ゲームがワルモノにされる理由(序)


 「理解できない若者の異常な犯罪」はいつの時代にもあるものですし、「その裏 に潜むものが理解できる(気にさせてくれる)」ものには常に需要と人気があるものです。端的には金属バット殺人事件があると付近のゴミ箱が金属バットで溢 れるなんて話もあります。それじゃなんの解決にもならんと嗤うのは簡単ですが、もしも身近でそういう事件があったなら、それで得られるちょっとした安 心感には得難いものがあるのでしょう。

 当の「異常な犯罪者」と深く付合うことで、そこにいたるキモチを理解する事(同調・同意ではな く)は可能なのだと思いますが、それよりは適当な「ワルモノ」を見繕うほうが手っ取り早く安心できます。そうやってラベリング(常識化)しておいて、もっ と大切なことに時間を使う方が有益です。「たいせつな事」を考える上では、「それほどでもない事」には世間で通用しているラベリングを流用するのが効率的 で、とても便利だからです。おそらく自分も無自覚にやってる事と思います。

 では、たまたま世間が見つけた適当な「ワルモノ」が自分の好きなものだったらどうしたら良いのでしょう?
 それがなんとなく「世間の常識」になっていきそうなときにはどうしたら良いのでしょう?

  ドラゴンクエスト3のエンディングで半端な映画なんかメじゃないと思ってしまったり、ファイナルファンタジー6でセリスと一緒に歌ってみたり、グランディ アでスーと別れなきゃいけないのが本当に悲しくて泣きかけたり、ひところは挨拶が「ところでエアリス助ける方法ないのか?」だったり、ICOのエンディン グで遠くから応える声に向かって一直線に走った記憶を持つ自分は、『ゲーム脳』や『脳内汚染』を受け入れる 事ができません。ニンゲンは自分の経験や好きなものや感動したものを裏切れない。そういうふうにできている。

 このブログの主旨を離れる事になりますが、しばらくの期間、この件について書かせて頂きます。
 スタンスは:
ゲーマーとしてのゲーム脳・脳内汚染対策
 基本認識は:

『ゲーム脳戦争の要諦は洗 脳戦。科学の問題では無い。』

って事で。


ゲームやろうぜ。



ラベル:ゲーム有害論
posted by ばる at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ノイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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