2006年08月03日

ゲーム脳・脳内汚染はサイレント・マジョリティ


 「ゲーム脳・脳内汚染は取るに足りないうそんこだ」というのは実はネット上だけの話で、現実にはすでに広く一般に受け入れられているのではないかと思っています。以下では、その例証としてあるブログを引用していますが、先方の主義主張をどうこう言う主旨では無いので留意ください。

◆◇◆

 あるブログでこのような記述を見つけました。ゲームとは全く関係の無い、タイトルの通り、主旨とは外れた箸休め的なエントリです。

『2006-07-28 気分を変えて!・・・書籍紹介』
(4)「『脳内汚染』ゲームが脳を汚染する」岡田尊司著

 実は『日本の息吹』(日本会議発行誌)で、精神科医でこの本の著者である岡田氏へのインタビュー記事を読んだだけなのだが、現在の説明不可能に思われる 異常な少年犯罪と、若い親たちの殺人事件の裏に潜むものが理解できる。

『人と交わる健全な刺激がもっとも必要な時期に、家に篭ってゲームという機械相手に過ごした子供たちの脳が異常をきたしているのだ』という結論には慄然と させられる。
 書き手さんは航空自衛隊でパイロットや司令官だった方で、普段は世の中にもの申す的な記事を書かれています。既に脳内汚染がらみで多くのコメントが付い ていましたが、自分もゲーマーとして、次のようにコメントしてみました。
■ところでゲームの話ですが。

  ◎◎さんはエバンス&サザランドやGDのフライトシミュレータの経験をお持ちだと思います(上記2社ともに国内のゲーム会社と提携関係にありました)。こ れを『人と交わる健全な刺激がもっとも必要な時期に、家に篭って』そればっかりやらせたら『脳が異常をきた』す可能性があります。
 と書いても誰も慄然とはしません。使い方・与え方(運用)の問題です。

 ゲームを取り上げてもなんか別の篭る道具見つけるだけでないかと思います。DVDとかインターネットとか。ゲームはダメ!アンパンマンの英語のビデオな らOK!というものでもないでしょう。使い方・与え方(運用)の問題です。

  最重要なのは『人と交わる健全な刺激がもっとも必要な時期に、健全な刺激が得られる場所を与える』事であって手っ取り早いワルモノ探しではない筈です。 「ゲーム脳・脳内汚染」は『説明不可能に思われる異常な少年犯罪』などが与える不安に疲れてる時にちょっとした安心感を与えてくれているのだと思います。 科学的にどうかは実は問題じゃないんじゃないでしょうか。

 できれば◎◎さんにはなにかゲームをやってみていただきたいと思います。飛行乗りからみた「エースコンバット」なんか読んでみたいです。
http://namco-ch.net/acecombat-zero/index.php

※この会社の飛行機ゲームはかつてゲーセンにもあったのですが、沖縄、三沢、百里近辺で異様に高い売上を記録しました。

 次のエントリには以下のような記述がありました。

2006-07-31 改めて、熱心なコメントに感謝!
さ て、帰宅してブログをあけてみて、熱心なコメントが多く寄せられているのでうれしくなった。いちいちごもっともなご意見だから、回答は差し控えるが、 「ゲーム脳」の著作については、私自身読んでいないので「聊か無責任」な紹介であったと思っている。雑誌での著者の対談をご紹介しただけなのだが、以前 「脳内革命」なる著作を送られて読んだことを思い出した。医学的に無知な私には、いちいち反論するほどの「知識はない」から、そういうことも確かにありう る、と読後感を持った程度であった。

確かに「運用」が問題だろう。親も子もそれ以前に「人間に接する訓練」が出来ていないような気がする。
 自分の印象としては、どうやらこの方はゲームに関しては「ちょっと言及してみただけ」なのだと思います。当たり前ですがこの方の主要な関心事はゲームで はありません。主眼はたぶんこっちでしょう。
親も子もそれ以前に「人間に接する訓練」が出来ていないような気がする。
 えーと。
 「まったく近頃の若いもんは」言 いたかっただけちゃうんかとゆう気もしますが、それはここでの主題ではありません(むしろ年長者にはそうあって欲しいと思っています)。念をおしますが、 私はこの人やその主張がどうだと言いたいのではありません。

 自分のセンサーに引っかかったのは「世の中なっちょらん」と言う為に「ゲームにことよせて」いるように見えた点です。例えて言うと「隣家にいるテロリス トを狙った爆弾がオレん家も燃やしてしまいましたよ?」みたいな?世はRMA(軍事における革命)の時代ですからピンポイント爆弾を使っていただけると助 かります。はい。

 なにか世間にもの申す場合、常識化した一般語から適当な単語を拾ってくるのは良くある事です。
「ゲーム脳・脳内汚染」は既に「わかりやすくて便利なコトバ」になり仰せているのではないでしょうか。
 この方からすると別に大した事ではないのでしょうが、ゲームは自分の関心事のわりと中心部にあるので。それはちょっと困るなぁと思うのでした。

 同様に感じた人は結構多かったらしく、他のコメントの中には「ゲーム脳・脳内汚染」に対する科学的反証やリンクを挙げておられる方が多くありました。自 分もかつてはそれらをふむふむと読んでいたクチです。しかし医学的には無知なので、まぁ、こんだけありゃ安心してもいいかなと思っていた。といった程度の ものです。

 だがしかし、Net上では優勢といっても実はそれ、ノイジーマイノリティってやつじゃないでしょうか?ゲームに関心ない人が「科学的反証」をちまちまと 読むでしょうか?ゲーム脳反対論を熱く語るサイトをわざわざ探して読むでしょうか?「ふつうのひと」は「ああ、ゲームばっか りやってるとこういうサイトを作るオトナになっちゃうのな」と思って逆にひいてしまうのではないでしょうか?

 サイレントマジョリティにとっては「ゲーム脳・脳内汚染」は『常識の範疇』なんじゃないでしょうか?

◆◇◆

再度引用します。心情表現に着目し て下さい(太字化オレ)。

最初の記事:『脳内汚染』著者のインタビュー記事を読んで。
『人と交わる健全な刺激がもっとも必要な時期に、家に篭ってゲームという機械相手に過ごした子供たちの脳が異常をき たしているのだ』という結論には慄然とさせられる。
次の記事:「脳内革命」の感想。またはそれプラス上記インタビューの感想修正。もしくは寄せられたコメントへの感想?
いちいち反論するほどの「知識はない」から、そういうことも確かにありうる、と読後感を 持った程度であった
 「そういうことも確かにあり得る」がナニにかかるのがいまいちツマビラカでありませんが、「慄然とさせられる」は明白にゲームの弊害を前提とした感想で す。テンションが違いますね。納得度が違います。距離感も違います。

 オトナは「常識」を疑いません。使う言葉の全てをいち いち根本に立ち返って考え直しません。もっと大事なことがあるからです。

 人の書いたものを読んだだけで「慄然とさせられ」てたら毎日が大変ですから、
 もともとこの人の脳内には「ゲーム脳・脳内汚染」を受容する回路ができていたのだと思います(だからすんなり使った)。
 それを読んだ私の脳内には「ゲーム脳・脳内汚染」を拒否する回路があるわけです(だからひっかかった)。

 両者ともに脳科学については無知であるにも関わらず、 この分岐はドコカラクルノカ?

 「オレの脳がゲームに汚染されているのか?この人の脳が「脳内汚染」に汚染されているのか?」とラベリングを導入した時点で負けです。
 いやナニにってんぢゃねーけどタマシイ的に^^;。考えろ考えろ考えろ、自 分で考えて、自分で決めろ

 しつこく繰り返しますが、私はこの人自身や、その主義主張がどうだと言いたいのではありません。
 世の中になにかもの申したい人たちにとって、「ゲーム脳・脳内汚染」がヒマネタやハナシのマクラとして使える便利な言葉になっている(ように見えた)事 が気にかかったのです。

 もちろん、ゲーム有害派は世の中に多いです。コメント欄でもそういう書き込みがありました。
 そして、半数程度は無視して本題を語るコメントでした。オトナとしちゃそっちが正しい態度だと思います。
 大半の人は自分のコメントを含めて、うざいなと読み飛ばしたことでしょう。
 彼らもまた、「ゲーム脳・脳内汚染」をヒマネタやハナシのマクラとして便利に使うかもしれません。

◆◇◆

 ゲーム有害論者(またはなんとなく「ゲーム脳」というコトバを使い/受容する人)はほんとうは科学的証拠も具体的症例も求めていません。
 彼らが求めているものは「説明不可能に思われる異常な」ナニカを説明してくれるもの、手っ取り早い安心感です。
 そして「よのなかなっちょらん」と言いたい人たちの手で、今後も「ゲーム脳」は便利に使われてゆくでしょう。

 「ゲーム脳・脳内汚染」の反証事例を挙げている学者さんはそれなりの数に昇ります。
 いや、今の段階でそうした結論を出すのは軽卒と見て、その科学的態度を問題視する人のほうが大勢でありましょう。
 にもかかわらず、これに依拠したゲーム有害論が人口に膾炙しているのは、

 それが人々の無意識の需要に応えているからだと思いま す。

 なんとなく「ゲーム脳」というコトバを使う人々はゲームを叩きたいのではありません。
 「世の中なっちょらん」と言うために援用したいだけです。
 なんとなく「ゲーム脳」というコトバを受容する人々はゲームを叩きたいのではありません。
 手っ取り早い解決策を求めているのです。
 「ハゲタカファンド」や「ネオコン」や「アルカイダ」や「コイズミ政権」や「格差社会」や「ゆとり教育」や「ゆきすぎた戦後民主主義の弊害」だとふつう の人は戦いようがありません。
 抽象的すぎてフラストレーションがたまるだけです。「自分を守るために戦っていると実感できるもの」ならなんでもイイです。
 「ゲーム」は戦ってる感じがしますからね。捨てるだけで済むんですから。
 それを安直とは言いません。だれだってしあわせになりたいのです。できるだけかんたんに。

 しかしこうなるともう科学的事実の争いには意味がありません。 一種の信者獲得競争です。
 なんてゆうんですか、政治行動を決定する要素をおさえた方が勝つ、みたいな?てゆうかソーシャル・サイエンス?

 私はゲームが完全に無害だなどと言うつもりはありません。未解明のものを含めて必ずあります。
 ですから不安を感じるのは結構。もちろん叩くのも自由です。ただしそれは「誰それが言っているから」ではなく、
 自分で考えて、自分で決めてからにして頂きたい。
 ゲームの害は(もしあるとしても)良識をもって運用する事で早期に発見し、問題無い程度に封じ込める事が可能です。
 そのうえで差し引きをプラスにしてゆくのが文明と いうものです(反意語:迷信)。
 「ゲームは一日一時間!!」って言うでしょ?。

 このブログの主旨を離れる事になりますが、しばらくのあいだ「ゲーム有害論」について書きます。

 ゲームやろうぜ


◆◇◆

付記:
 引用させて頂いたブログは『軍事評論家=佐藤守のブログ日記』の以下の記事です。
空気を読んで節度ある行動をお取り下さいますようm(_ _)m。
ラベル:ゲーム有害論
posted by ばる at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ノイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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